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糸六のこと

京都市下京区、呉服の道 室町通りのほど近くにある、
「へのへのもへの」のマークでお馴染みの糸屋「糸六」。
京都に永く息づいている、良い糸を笑顔で商うお店です。
糸六のこと

私たちの糸六株式会社の創業は、明治四年頃のこと。初代・今井儀助が京都市で立ち上げた、絹糸、綿糸を取り扱う糸商が始まりです。

大正時代に入り、三代目となる今井六治郎が、滋賀県高島郡剣熊村(現 高島市野口)から京都にやって来て、糸商に加わります。今井六治郎は、糸の商いを愛し、「糸屋の六さん」と呼ばれて親しまれた人でした。
口癖は、「いつもニコニコ笑顔で、腹を立てず、質の良い“糸”を“売“らしてもらう。そうすれば末永く“続“けていける。糸を売るというのはそういう商いなんや」というものでした。
このときから「続く」という文字は、糸を売る私たちにとって、とても大切な思いを表す文字になったのです。

昭和4年1月、皆に親しまれて広まっていった「糸屋の六さん」という六治郎の愛称を生かし、その心を大切にするべく、私たちの会社は「糸六商店」という名前で新たに看板を掲げました。

多くのものが使いやすく便利になってきていた昭和の初め頃には、これまで使われて来た「かせ糸」がもつれやすいことを面倒がる人が増えてきました。当時は、大きく束ねられた絹糸のかせを木枠に巻き取り、小分けにして小売り用として販売するのが当たり前だったのです。六治郎は、絹糸をより使いやすい商品にするために考え続け、遂にカードに巻き付けて販売するという方法を思いつきます。

新たな時代の息吹を感じさせるカード巻きの絹糸には、六治郎の口癖「いつも笑顔を絶やさず、腹を立てず、質の良い糸を売ろう」という思いを表す、『へのへのもへの』のニコニコマークが付けられました。
こうして私たちの「ニコニコ印純絹糸」は誕生し、現在も変わらぬご愛顧をいただく定番の商品となったのです。

昭和の初期、糸六商店は松原通新町東入る中野々町で営業していましたが、戦争の陰が日本全国を覆う時代になり、特に第二次世界大戦中は、糸屋の業界も統制経済の波をまともに被ることになりました。国策に従い、仕方なく第一絹糸製造配給統制有限会社として営業を継続した時期もありました。

戦争が終わって、糸六商店は現在の室町通り近くの地に移転。商いにも少しずつ自由が戻ってきました。六治郎の長男・今井義郎は、配給統制会社としての営業と並行して有限会社 糸六商店としての営業を始め、やがて統制の時代も終わりを告げます。
昭和25年秋、有限会社 糸六商店は「糸六株式会社」と社名を改め、新たな一歩を踏み出しました。

昭和から平成へと世の中は移り変わり、衣料・服飾の世界も、素材、デザイン、用途などが目まぐるしく変化。糸に求められるニーズも変わってきました。現在もその変化が留まることはありませんが、私たちは、糸の商いを愛した六治郎の心を失うことなく、いつも笑顔で、質の良い品をお届けすることを、忠実に守り続けて参ります。

京都にお見えになることがありましたら、また、大切な生地を生かす質の良い絹糸をお探しのときには、松原通室町東入にある古風な建物の糸屋「糸六」へお出かけください。
お客さまが一番の糸を選ぶお手伝いを、心を込めてさせていただきます。

五代目当主 今井登美子

次期六代目当主 今井春樹

生まれたときから家の中に響いていた糸繰りの機械の音。それを子守唄の代わりに聞いて僕は育ちました。
「へのへのもへの」のマークに込められた曾祖父の想いを祖父や大叔父や母から聞いて成長するうちに、自然にその想いを感じ、この仕事を継いでいきたいという気持ちが育まれたように思います。いつの頃からか、ぶれることなく糸商にこだわった先代、先々代のことをかっこいいと感じるようになりました。
今、そしてこれからの糸六を担っていく僕も、糸というものの可能性を絶えることなく追求し、糸がより魅力あるものになっていくように、愛情を注いでいきたいと思っております。
どうぞ糸六と共に、よろしくお願いたします。